生命の音霊(おとだま)  尾崎元海

 花の木・桃
 『古事記』に伊邪那岐命いざなぎのみこと黄泉国よみのくにから逃げ帰るとき、桃の実三個を投げて鬼を退けたという話がある。中国では桃の呪力じゅりょくが俗界とユートピアを分けると信じられていた。陶淵明とうえんめいが描く「桃源郷」は、桃の林の先にその入口が隠されているという。
 桃は東洋の祈りの心が姿となって現れた木であり、こころの花でもある。桃の花は邪気を払い、は力強い生命力で人間を養う。赤い花がひらひらと舞い散るさまは詩人の心を動かし、人々に生命の大いなる活動を感じさせる。生命のよみがえりの象徴が美しい花となるこの木は、仙木せんぼくである。天平てんぴょうの乙女が満面みをたたえたようなすこやかな美にあふれた桃の花。新しい生命の誕生と豊かな成長を内に秘めた働きは、人間生命の永続性を祈る天からの贈りものである。
(風韻誌2018年5月号)