『老子講義』に寄せて  尾崎元海

 第七講 虛を致すこと極まれば……
 最初に「きょ」という言葉の意味が説かれています。これは只の〝むなしい〟ということではありません。人間の自我欲望の想い、小智才覚の想いを、むなしくするという意味なんですね。この言葉は「くう」という言葉と等しい意味を持っています。〝虚を致すこと極まれば〟と老子が言っておりますように、虚の心境には段階があることを感じさせますね。自己の自我欲望や小智才覚の想念を全くむなしくすると、その人の心境は静かに澄みきり、如何なる事件事柄にも、その想念が乱れることが無くなると、五井先生は仰しゃっています。五井先生はまさにそういう御方おかただったんですね。
 万物は一定の時期になると、各自がそのさがに従って、現れ成長し、やがてちてしまい、各自の根である本源に復帰するというんです。その各自の根というのは、大生命が植物なら植物という色分けをした本源のことで、植物がこの地球界に形を現す源の生命のひびきのことをいうと、説かれていますが、すごく深い霊妙なる世界なんですね。草木などの種の中に存在する植物の生命のひびきが、大地に含まれているその生命を育てるひびきに調和して、立派な美しい姿を現すんですね。まことに偉大としかいえない働きが現象の奥から働いているわけですから、一木一草が現れてくることが、大いなる奇跡であり、神秘としか思えませんね。
 万物は全て、このように、各自の根源の世界にひそんでいた大生命が、この世に現れるひびきを起こすことによって為されているんです。そして、その生命のひびきを、この世に現す助けをする様々な生命のひびきによって、この世の繁栄があるということですね。この様々な生命というのは、太陽であり、大地であり、空気や水のひびきなんです。
 しかし、そういう各自の繁栄は、やがては再び本源の世界に復帰すると、老子は言っています。これは万物の動きを見ていれば、納得がいく宇宙法則ですよね。人間の想いをはるかに超えた高次元からの大智慧であり、大能力が私達の眼前で展開しているわけで、全くもって素晴らしいみわざであるとしか表現できませんね。
 ここで老子は、根つまり本源に帰ることを「せい」と言っています。この静という境地がすごい深さなんですね。本源から離れた動きが少しもない、想念波動というものの一切ない境地をさして言っているのですから、あまりの深さに驚くしかありませんね。大生命が一つ一つの生命波動として、活動をはじめんとする元のすがたを静というと説かれています。そして、この静の状態になった時に〝復命〟即ち、命の源と一つになったということなんですね。この復命を「つね」と言われていまして、私達が思う常識の常とは随分違うということが分かりますよね。ここで五井先生は、宇宙神のみ心を心とした宇宙心の法則にそのまま乗って、生命波動をひびかせ得る境地を常というと仰しゃっていますから、途方もなく深く広い世界ということになりますね。こうした常の心境を知っていることを「めい」というと書かれています。この明というのはあきらか、明るいということで、神のみ心の光明そのものということなんです。そのような神のみ心と一つになっていれば、久遠くおんの生命を得ることができるし、肉体身をもっていても、その身が危うくなったり困ったりすることがない、というんですね。その後の説明は種々な言葉を使っていますが、神人としての心の世界を言っています。
 そういうように、むずかしい原理を易しい方法で成就できる方法を教えて下さった五井先生には、只々ありがたく、もったいないことだと思わずにはおれません。凡夫の私達は、急がずに一歩一歩、消えてゆく姿で世界平和の祈りを実践するだけです。〝千里の道も一歩から〟の心で、少しずつ歩んでいきましょう。目の前の一歩を落ちついた心で進んでいけば、必ず五井先生が最も良き方法で導いて下さるはずです。
(風韻誌2021年7月号)