『老子講義』に寄せて  尾崎元海

 まえがき
 私は二十代前半の頃から「老子」に強く心をひかれました。老子の本は色々と読んでいましたが、それから二、三年経って五井先生にご縁がつながり、老子講義に出会うことができました。老子さんの限りなく深く広い世界を、五井先生のやさしい文章が導いて下さっているんですね。
 「世界平和の祈り」を祈る人は老子の境地に至ってほしい、という五井先生のみ心に沿って、五年ほど前から老子講義・体覚会を始めました。今号より少しずつ、この老子さんの本により親しんでいただくために、私なりに大事なポイントだと感じたことを書いていくことにしました。

 第一講 無明むみょうは天地の始めなり
 老子さんは把われを最も嫌った人でして、生命の自由自在性を説かれているんですね。この世で生きていますと、様々と把われることが多く、そのことが生命の生き生きとした美しさを汚してしまいます。動物や人間の赤ちゃんの無邪気な動きを見ていますと、把われがないということは、何とかわいく美しく魅力に満ちているかは誰でもわかりますよね。宗教の道というのは、神のみ心が現れたところをいうのですが、赤ちゃんの姿などはまさにそうなんですね。神のみ心の自由性というのは、その人のから自然と現れたの中にあるわけですね。この世に生きていますと、組織や役目などの名をもちますが、そのことに把われていると、神より与えられた天命は完うできないと仰しゃっているんです。
 そこで、まず人間の根本のあり方を説明されています。無名即ち神様という根源の創造力、絶対なる生みの力を認めるところから出発しなさいと、ずばりと最も深い世界のことを説かれているんですね。私達が見たり理解している存在というのは、神様の霊的な微妙な波動としての存在から、あらい波動の存在である物質的に現れた世界のことなんですね。その姿をさかのぼっていけば、神と一つの働きに合体することができると言われているんです。
 私がよく話したり書いたりしていますが、自然界の樹木や草花を深く愛する習慣をつけることが、神との一体感を実感するやさしい道なんですね。老子さんの世界は、実は身近にあるということになります。神様そのものの中に、妙々不可思議なる絶対力、大智慧大能力があり、私達が感じる現れとしての天地の中には差別があるが、どちらも「げん」というと仰しゃっています。この玄と老子さんがいっている霊妙不可思議なる実在は、どこまでも広く、無限大にして、無限小ともいえる大能力であるというんですね。森羅万象しんらばんしょうことごとく、この大能力、絶対力から生まれてくるのである、といっておられるんです。
 とにかくすごい内容ですね。万物万人、すべてはその世界から生まれているということになります。無限大というのは、広大無辺なる大宇宙を考えればわかります。無限小というのは、現代科学が教える素粒子の世界を考えると理解できると思います。最高至高の存在である神は、人間が我れという小我があるうちは、神の実体を知ることはできません、と書かれています。を捨てたくうの状態になった時、神のみ心深く入り得ることになるというんですね。その空も浅い空、深い空というものがあって、どこまで行っても行きつけぬ、深い深いものであると、老子さんは仰しゃっているんですね。
 そういう想像を超える世界へ導いて下さるのが五井先生なんですね。五井先生が教えて下さった「消えてゆく姿で世界平和の祈り」と、守護の神霊への感謝行を楽しみながら、大ロマンである神様への道を共に歩んでいきましょう。
(風韻誌2020年7月号)