三月九日
昨日、宝塚の中山寺へ梅を見に行ってきました。十数年ぶりの梅見物でしたが、桜と違った独特の趣があって、私の大好きな花のひとつです。上手く表現できませんが、懐かしい感じがするというか、魂の古里に誘う香りと、可憐な花の姿が心を癒やしてくれるんですね。広い境内の中にある梅林には数多くの梅の木があり、所々に咲いている椿の花も愛らしく、いい気分転換になりました。
今日は、冬の間やらなかった庭の手入れを久しぶりにしました。草抜きの時の土の匂いには、春の氣が充満しています。何とも言えない大地の温もりが、心の中に伝わってきます。少し前から鳴き出したウグイスの声と共に、春本番の天地間の息吹はありがたいですよね。
三月三十一日
春の香りというのは、ほんとにいいものですね。先日、二人のメンバーの方から、つくしんぼの煮たものを頂きました。中々上手に炊いてあって、とても風味があり美味しかったです。野と大地の香りと春の氣が充満していて、子供の時代の光景に帰ったようでした。
三月から四月というのは、梅、桃、桜と大好きな花が次々と咲きます。梅の清らかで香しいひびきの奥に、品位のある美の神さまが住んでいるんですね。桃は可憐で心を一瞬にして和ませてくれ、ほっこりとした気分にさせてくれます。肩の力が自然に抜け、スーッと美しさの中に融合させてくれる天使の花のようです。桜は華やかで、見ていると心底から明るく朗らかになってきます。自然に踊りだしたくなるような不思議な魅力いっぱいの花ですね。
四月二日
四月一日、新元号が発表されました。「令和」という命名で、万葉集から取った言葉ということですが、品格のある美しい言葉ですね。元来、日本国の年号というのは、国民の幸せと国家の平和、そして大調和のひびきを世界中に伝えるためにあるんですね。昭和から平成の切り替えは、昭和天皇の崩御ということもあって三日間喪に服しましたね。ですから「平成」という年号が発表された時も、国民は昭和天皇の帰神もあり、心から喜ぶという雰囲気はなかったように思います。
それに対して、今回の年号改正は、国民の多くが喜びを感じていますよね。令和の令という言葉は、大いなる存在者からの掟ということで、法(道理・法則)という意味なんです。和は神のみ心の平和ですね。大いなる平和の氣を地上界に必ず現しきるというのが、令和の言葉の働きというか、言霊なんです。そういうことで、私達祈りのメンバーは心を新たにして、「世界平和の祈り」に対する絶対信の心をますます深めなければと思います。
四月六日
一月に放送され録画していた、BS番組の巨樹の番組を見ました。日本は世界にも希な巨樹の国と言われています。植物は人間と違って、環境を変えることが出来ません。その中で、風雪や多くの試練に耐えて大きく成長し、長い寿命を保つという生命力には、圧倒されるばかりですね。人は巨樹に会うと自然と涙が出てきます。与えられた役割を限りなく果たしていく姿には感動するしかありません。
放送では最初に、山梨県北杜市にある「山高神代桜」が映し出されました。樹齢二千年とも言われ、中心部は崩れかけていますが、周りから伸びている太い枝をいくつもの棒が支え、美しい花を咲かせています。生と死が渾然一体となって、見る者の心を不可視の大いなる世界に繋げていくんですね。鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社にある「蒲生の大クス」は樹齢千五百年で高さ三十m、幹周二十四mもあり、内部に八畳ほどの大きな穴が空いていて、幹の空間が十六・五mの高さがあるんです。台風の影響をどれだけ受けたか分かりませんが、その忍耐力たるに驚嘆するばかりです。
他にもありましたが、屋久島の杉の大木群は見事なものでした。一九七〇年まで伐採が続いたようで、切り株がたくさんあります。四百年前に切り倒されたウィルソン株は推定三千年で、切り株の中は十畳ほどの広さです。又、二〇一〇年に倒れた翁杉もそうですが、今でもそこに大きな働きの白髪の神霊が鎮まっておられるんですね。縄文杉の巨大なる生命力に只々手を合わせるいい番組でした。
(風韻誌2019年5月号)