気が小さいのを捨てる 尾崎晃久 

  ―2022年5月15日、法話会より―

 昭和三十八年のご法話で、五井先生は、気が小さいことを悩む女性から、「気が大きくならないでしょうか」と尋ねられ、「なりますよ。気が小さいのを捨てればいいじゃないですか」とお答えになられていました。
 気が小さいとは、細かいことが気になる臆病な性質のことを言います。その女性は、ちょっとしたことでも、心配しすぎて恐れてしまう傾向がおありだったのでしょう。普通は、気が小さいのを捨てたくても、どうやって捨てたらいいかわかりません。恐れてはいけない、と思っても恐れてしまいますし、中々、自分の想いの癖を変えることはできません。
 五井先生は、「五井先生の中に捨てちゃえばいい。五井先生が守って下さるんだ。守護霊守護神が守ってくれているんだ。何事も恐ろしいことはないんだ!という練習を続けるんです。そうしたらだんだん気が大きくなります。少なくても、あなたでもさ。自分一人で私に会う前の気の小ささと、私に会ってからの気の小ささじゃ、今の方がずっと大きいでしょう。どうでしょう? ますます小さくなった? そんなことないでしょう。少しはゆったりしたでしょう。ほらぁ、それだけ大きくなってるんですよね。私に会わない前はいりこ(小さな煮干し)の胆、いりこの胆というのはこんなに小さい……ぐらいだとすればね、今は狸の肝ぐらいに大きくなってますよ」とわかりやすくお話しされ、女性を勇気づけておられました。
 肉体の自分一人で生きているんだと思っている時は、心細くて、なにかあるたびに、恐れてばかりだったのが、守護霊様、守護神様、五井先生が守ってくれているんだ、と思うようになると、それだけ、心が安心してきて、恐れる想いが減ってきます。その方も、いりこの胆から狸の肝ぐらいまでは、気が大きくなっていたわけですが、それでもまだ気が小さい。それを、本人が気に病んでおられたわけですが、五井先生は、こう仰しゃっておられました。
 「気が小さい人があったら、気が小さいのを、先生に預けなさい。あたしは、気が小さい、気が小さい、言わないで、ああ、この気が小さい自分を先生にあげますから、といって、先生の方にくれちゃえばいいですよ。そしたら先生の方から大きいのをやりますから。(中略)
 だから、気を大きくしてらっしゃい。みんな、気が小さい人がいると思うんですよ。気が小さい、自分は弱虫だと思ったら、弱虫の自分、小さい自分を、みんな神様の中に、世界平和の祈りに入れてしまいなさいませ。
 いつも、小さい小さいと思いなさんな、いつも、弱い弱いと思いなさんな、癖なんだから、単なる。癖ですよ、みんな。甘たれてんだ、実際の事をいうと。癖を治さなきゃだめですよ。それを、いつまでも癖を大事に、私は気が小さい私なんだ、弱い私なんだ、なんとかの私なんだ、もうちっちゃな、ちっちゃな自分を大事に、大事に持ってる。なぜ、そんなつまらないものを持っているのかしら。つまらないものなら捨てればいいでしょう。
 そういうつまらないものを全部、神様の中、世界平和の祈りの中に入れて、捨ててしまえばいいんですよ。そうすると神様の方で、新しい自分の、一番いいような自分にしてくれるわけです。自分があるということなんです。自分がありすぎると、弱い自分があったり、小さい自分があったり、強い自分があったり、ずるい自分があったり、いろんな自分があるわけです。そういう自分は業想念の消えてゆく姿なんだから、みんな、かまわず、お祈りの中に入れちゃいなさい。(中略)
 皆様方だって、どんどん大きくなってゆくんだから、気の小さい自分、気の弱い自分、怖がりの自分ていうのは、先生に任せたから、もういないんだ、もういないんだ、と思いなさいよ。あるのは、神様の子の自分だけなんだ。神の子の自分だけここにいるんだ。ああ、みんな神様がやってくれるんだ、守護霊、守護神がやってくれるんだ、五井先生がやってくれるんだ、と思い定めちゃうんですよ。そうすると大きくなります。もう気の小さい○○さんはいないんですよ。気の大きい大きい大きい、宇宙大のあなたがいるだけなんです。」
 私たちは、つい、私はこういう人間なんだ、と決めつけてしまいがちだと思うんですよね。私は気が弱い。私は頑固だ、私は短気だ。五井先生は強い自分も、業想念の消えてゆく姿に含めておられますが、気が強いということであれば、強情で気性が激しいという、悪い意味で使います。それは単なる想いの癖で消えてゆく姿なんですよね。本当の自分じゃないんです。
 それを、私は気が小さい人間なんだ、私がこういう人間なんだ、といつまでも、後生大事に、業の消えてゆく姿を持っている。そんなつまらないものを、いつまでも大事に持っていてはいけませんね。
 気が小さい自分、臆病な自分、短気な自分、そんな自分はいらない、必要のないものなんだから、捨ててしまわなければいけない。どうやって捨てるかというと、消えてゆく姿と思って、平和の祈りに捨てればいい。そうしたら、平和の祈りの、救世の大光明の中で、気が小さい自分は、みんな浄められて、気の大きい神の子の自分が現れてきますよね。
 五井先生に気の小さい自分を預けたら、かわりに気の大きい自分を下さるというのですから、有難く頂いたらいいんですね。
 本心の方は、気が大きくて、勇気に溢れていて、柔和な心で、ゆったりしているんですから、本来のものが現れてくる。小さいことでびくびくしていた想いが浄められて、ああ、神様にお任せしているから大丈夫、何も心配することはないんだと、ゆったりとした、安心した自分が現れてまいりますよね。
私も、気が小さいところとか、頭でごちゃごちゃ考えてしまうところとか、せっかちなところとか、いろいろありますが、それを、消えてゆく姿と思って、平和の祈りに捨てるということを曲がりなりにも実践してきたことで、そういう想いの傾向がどんどん減ってきているのは、間違いないと思うんです。以前と比べると、ごちゃごちゃ考えることも、小さなことを気にすることも減ってきて、気持ちがゆったりしてきています。
 やはり本心の神の子の姿がどんどん現れてきているのは間違いない。だから、私は昨日まで、こういう人間だったから、明日からも、ずっと、こういう人間なんだと決めつけてはいけません。まだまだ、いろんな想いの癖はありますが、それも消えてゆく姿と思って、平和の祈りを祈ってゆけば、私はますます良いように変わっていくに違いないと思っています。
 また、五井先生は、「お友達同士でも、昨日までたいした人間でないと思っても、明日になったら、たいした人間になるかもしれないから、お互いに馬鹿にしあったりすることはいけませんね。どんなに偉くなるかわかんないんだから。一年たったらまるきりかわる」と仰しゃっておられ、他人に対しても、あの人はこういう人だ、と決めつけてはいけないな、と反省しました。
 他人を馬鹿にする想いが出たら、ああ、これは、単なるこの人の想いの癖の消えてゆく姿であって、この人の本当の姿ではない。どうか、この人の業が消えていって、本心が開かれますように、世界人類が平和でありますようにと祈っていく。そしたら、向うの業が早く消える手助け、光の援助をしていることになります。自分の癖も人の癖も、みんな消えてゆく姿と思って、平和の祈りを祈っていく。そういうことを、みんなでやっていったら、悪い性質がどんどん消えていって、本来の神の子の姿がより早く現れてくると思うんです。私は気が小さいとか、あいつは駄目だとか思っていたのは、みんな消えてゆく姿で、ただ、本心の神の子の自分があるのみなんですよね。そのように行じてまいりたいと思います。
(風韻誌2022年7月号より)