守護の神霊による両親の選択 尾崎晃久

守護の神霊による両親の選択(1) 尾崎晃久

  ―2021年9月19日法話会より―

 親ガチャという言葉
 最近、若者の間で「親ガチャ」という言葉が使われており、ネットやテレビで話題になりました。ガチャガチャという、硬貨を入れてガチャッとハンドルをひねると、丸いカプセル入りのおもちゃが出てくる販売機があります。どういうおもちゃが出て来るかはわからず、中身を自分で選ぶことが出来なくて、運任せであるわけです。
 それになぞらえて、子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう親や境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現を、親ガチャと言うんですね。自分の境遇が恵まれていないことを、親ガチャに外れたと嘆くなど、そういう使い方をします。
 その言葉の是非を巡って、ネットやテレビで議論になっていました。中には「親が一生懸命育ててくれているのに、親ガチャに失敗したなんて、そんな言葉は安易に使ってほしくない。不謹慎だ」と、この言葉に抵抗感を示す意見もありました。
 また、こういう言葉が流行はやる背景には、昔は一億総中流と言われていたのが、今は貧富の差が拡大して、貧しい家庭の親の元に生まれてしまうと、中々、自分の努力だけではどうにもならないという、若者たちの悲観的な想いがある。貧困層の家庭環境で生まれ育つと、お金もないし勉強も十分できる境遇でなくて大学にも行きにくいとか、裕福な家庭の子より様々な面で不利になってしまう。親ガチャに失敗したといって、若者が人生をあきらめてしまわないように支援する制度が必要だ、と指摘する人もいました。
 虐待をして暴力をふるうような親のもとに生まれた場合は、子供は親を選べないと、嘆くのは無理もありませんが、愛情を持って育てている親としては、そういう言葉を子供に使われたらショックではあろうと思います。
 真理の観点に照らし合わせて、この問題を考えてみたいと思います。
 子供は、どういう親のもとに生まれてくるか自分で決めることはできない。では何によって決まっているのか。決して偶然、ある親の元、ある境遇に生まれてくるわけではないわけですね。今生で、ある両親の元に生まれ、そのことが、自分の人生に影響を与えてくるというのは、やはり過去世の因縁によるわけですね。
 今の、唯物論的な見方だと、人間というのは、お母さんの中で、赤ちゃんが宿り、この世に生まれてきた時点で、その人の生命が誕生したと考えます。それまでは、自分という意識を持った存在はいなかったと思うわけです。
 ところが、本当は、その人の霊魂というのは、赤ちゃんとして、この世に生まれてくる前からあったわけですよね。私は四十年ちょっと前に、この世に生まれてきたわけですが、五十年前、百年前にも私は生きていたわけです。それはこの世で、肉体を持って生きていたのではなくて、肉体世界より微妙な波動の世界、霊的な階層で生活をしていたわけです。また、それより前の時代には、肉体世界に生まれてきたこともあったわけですね。肉体界に生まれては亡くなり、また霊界で生活し、また肉体界に生まれて……を数限りなく繰り返し、その間に、良いことも悪いこともして、いろんな経験をしているわけです。
 五井先生が、『神と人間』で、「人間の誕生についてお教え下さい」という質問に対して、このように書いて下さっています。
 「人間は死後、その人の過去の想念や行動によって、その霊魂の幽界における生活が決まり、その霊魂が種々の苦難や悲哀、あるいは喜びを味わいつつ、進化に役立つ行をするのであるが、これ以上は幽界における経験よりは、肉体界における経験のほうが、よりその霊魂の進化を促進させるに役立つと、その霊魂の教育に当たっている先輩霊(高級霊)あるいは守護神が思った場合、肉体界誕生の待合場へその霊魂は移され、そこで肉体界誕生の日を待つのである。」
 ここで、幽界とあるのは、霊界も含めてと受け取って良いかと思います。
 よく子供が親に悪態をついて、「頼みもしないのに、なんで俺を生みやがったんだ。生まれてさえこなければ、こんな苦しみ味わわずに済んだのに」と文句を言うことがありますが、それは間違いなんですね。この世に生まれて来ることで、霊魂の進化が促進されるのですから、これほど有難い、感謝すべきことはありません。生まれてきたことで、いろいろと大変なことがあっても、それは、過去世からの因縁を軽い形で消し去っていることになるわけですね。
 五井先生は、どれほど、この世で苦しいことがあっても、あの世、地獄での苦しみに比べたら、ずっと楽なんだと仰しゃっていました。この世というのが、一番楽な形で業を消せる場であること、そして魂の進化向上に役立つ場であることを知ることが必要です。
 実際、この世に生まれてきて嫌な事ばかりということはないので、この世に生まれてきたからこそ味わえる様々な喜びもあるわけです。有難いことは探せばたくさんあります。