初雪法話  尾崎元海

 神秘の中で生きている
 有りとしあらゆる存在に、宇宙の神秘を感じる心は、人間の神性を信じる心でもあるんです。宇宙の神秘というと、自分とは離れたことのように思う人も多いのですが、人間が宇宙の中で存在しているという事実は、誰もが認めざるを得ませんよね。神秘というのは、人の智恵では計れない事柄という意味です。
 何十年か前、地球という星に誕生し、やがては肉体を離れて霊的階層に移行していきます。この最も重大なることについては、ほとんどの人はいくら考えてもわからないと思います。そこで、そんなことはわからないと決めつけないで、一歩踏みこむ心が大事なんですね。生死について、〝実に神秘不可思議である〟と素直に認めることが、神性自覚への大いなる第一歩ということになります。
 この気持ちは、自然な形で内なる生命を確信するということになり、内部の生命力をより大きく受け取り、現すことができるんですね。内なる力を神秘と捉えるということは、我が奥に偉大なる能力が潜んでいることを認めたわけですから、敬虔けいけんな心で内部神性を尊ぶということになります。ほんのちょっとの前進が未来を大きく開くことになるんですね。

 想いを深みの世界へ
 自己の想い(意識)が深い世界に入ってゆく訓練は、ことのほか重要なんですね。神性顕現、人格拡大のためには、祈り心の大切さはもちろんですが、日常生活の中での工夫も必要ということになります。「日常生活即宗教」ですから、このことは心掛けていきたいですね。
 通常の社会生活の中にいると、この世の利害得失ということに反応していくという、習慣性の波の中で動いていきます。科学者とか技術者や芸術家などの人はその道を極めていきますが、一般の人はそうではありませんよね。そこで、一日の中でほんの短い時間でもいいですから、心が感動することに気持ちを注いでいくんです。
 これは自然の姿でもいいですし、テレビの自然の世界を紹介する番組でもかまいません。感動というのは、野菜ひとつ見ても、日々作る料理であっても、愛の心があれば、その中にあるいのちの力や和合の妙味を感じとることができますからね。これは長時間やれというのではなく、短い時間でも充分ですから、ぜひ習慣づけていって下さい。

 足元を見つめて生きよう
 足元を見つめるというのは、体を動かす上でも大事ですよね。何かに想いが把われていると、ついおかしな行動をしたり、思わぬ事故にあったりします。〝そんなことはわかっているわ〟という人が多いでしょうが、こういう簡単なことでも、案外できていないことが多いんです。
 これを超えるには、〝尊い神さまの生命が動いておられるんだ〟と意識していくといいですね。こういう何でもないと思うことでも、〝全能なる神さまが為さっているんだ〟と信念していくんです。歩くこと以外でも、物を運んだり、お掃除そうじをしたりとか、日常の家庭の仕事もそうです。職場でのいつもやっている事務的な仕事とか、お客さんと接する接客の仕事とか、他にも色々ありますね。特に慣れている仕事が大事だと思います。
 そういうことが習慣づいてくると、難しい問題や大きな課題が出てきても、スーッと無理なく心身が動いてくるようになるんですね。それを楽しみとして、普段の何気ないことに心を配っていって下さい。

 能力とは何か
 能力というと、一般的には芸術的能力とか、政治家や事業家のような、特殊な仕事をする人達の才能のことを言います。そういう能力を持つ人をうらやましく思う人も多いんじゃないでしょうか。こういうのは、その人の過去世からの積み重ねや、天命というのがありますから、如何いかんともしがたいものです。そういう特殊能力もあるにこしたことはありませんが、もっと根本の能力というものの価値をしっかり掴む必要がありますね。
 どういうことかというと、明るい心とか優しい心、陽気な心とか元気な心、清らかな心とか澄んだ心、思いやる心とか勇気ある心など、人間にとって一番大事な性分しょうぶんというか、天性の響きのことです。そういう心を持っている人が案外、自分に自信がない人とか、学問が得意でない人とか、体力があまりない人とかに多いように思われます。
 自分の中にほんとに素晴らしいものがあるのに、その天分の響きがどれほど重要であるかを知らないということは、見す見す尊い宝を捨てているのと同じなんですね。天分の響きは神のみ心ですから、その要素が表面に現れていることは偉大ということです。観点をちょっと変えることによって、どこまでも未来を変えることができるのですから、心掛けていただきたいですね。
(風韻誌2018年1月号)