昼顔法話  尾崎元海 

 90 「恐怖の想いが起こってきたら、逃げちゃだめなんです」と、五井先生は仰しゃっています。「〝五井先生がいるから大丈夫だ、五井先生〟と言うと、想いが五井先生の中に入る。すると無くなってしまう。原理は簡単。想いがすべてのすべてなんだ」と、断言されています。
 世界平和の祈りを実践する私達にとっては、ここのところが、この上なく重大なんですね。「五井先生」と呼ぶと、想いの波が無限大光明に吸い込まれていくという、不思議極まりない霊的事実があるんですね。ですから、我々は何があっても無くても、五井先生の称名の中に入る訓練を日々やっていくことを、生きる根本にしていけばいいわけですね。これが最もやさしい「空」という世界を実感する方法であって、真剣に実行すれば必ず納得がいきます。

 91 「自分の中にある平和なる光、神さまの光が相手に流れてゆく」……これが五井先生のお浄めなんですね。私達も準じることができるんです。五井先生の称名の中に純粋に入っていくことによって、世界平和の祈りの大光明の中へ全ての想いを投げ入れていく生き方ですね。
 一歩ずつ進んでいけば、大聖が為された道を歩めるわけですから、これほどありがたいことはありません。どう考えても、妙々不可思議ですが、五井先生との出会いがあったことが幸いで、過去世の方々に感謝を申し上げるばかりですね。

 92 世界平和の祈りというのは、祈れば救世の大光明に包まれているんですから、こんな楽で幸せなことはありませんよね。
 ですから私達は、〝自分はもうすでに神さまの中に入っているんだ。神の子であり、光り輝いているんだ〟と思い続けていけばいいんです。心の中でいつも、〝神さまと自分は一つなんだ。自分は五井先生と一つなんだ〟と思っていれば、恐れなく希望に満ちて生きていくことができますからね。日々を平和の祈りに託していくことほど、幸せなことはありませんよね。

 93 〝心がいつも神さまの中に住んでいて、何が現れてきても、ああ、これは消えてゆく姿なんだ〟と、それに把われないようになることが一番素晴らしいですね。
 「自由自在」ということは、〝何事にも把われない心のこと〟と五井先生は仰しゃっています。この自由自在というのは、頭脳智では実感できません。高次元の世界のことですから、全ての想いを平和の祈りの中へ投げ出してゆくことによって、必要に応じて愛や智慧などが流れ出てくるんです。
 神さまの大愛を信じて全託していくことによって、だんだんと実感されてきますから、悠々たる心で祈っていくだけですね。

 94 自分自分と思っているものは、単なる想いにしか過ぎません。水の上に浮かぶあわのようなもので、現れては消えてゆく姿なんですね。真の自分とは、内奥ないおうで光り輝いているものです。
 その世界に入る方法が、世界平和の祈りなんですね。ということは、祈り一念に成りきっていけば、神さまの光こそが本物の自己なんだと実感することができます。論より実行ですね。

 95 今しか出来ないことを一生懸命やること。若い人も年齢が行っていても、このことは同じですね。懸命に命を燃やすことは神のみ心にかないますから、心しておくことが大事です。一心にやる。心を一つのものに向け続けていくことは、宗教以前の問題ですから、心掛けていかなければいけません。

 96 人間の心というものは、見るものと見られるものと二つあるんですね。例えば恐怖する心と、それを見る心がありますよね。あらゆる想いを消えてゆく姿とながめ、世界平和の祈りに入れきっていくんです。そうしていくと、見る側と見られる側の両方が世界平和の祈りに融合されます。そこまで消えてゆく姿に徹し、祈り一念になってゆくということです。
 さすれば、おのずからとみずからとが一体になり、させられることとすることが一つになるわけですね。いわゆる神我一体の境地ということですが、そうなるには日常のひとこまを大事にしていく以外ありません。足元を大切にしてですね。

 97 〝時間、空間というのは、神さまの世界にはない。神さまの世界には形がなく、ひびきだけ。ひびきというのは、全てとつながっている〟という五井先生の言葉があります。96に書いたことをまともに誠実に実践していくと、神さまの世界は大光明、大調和のひびきであることが実感されてくるんですね。祈りの世界は時間、空間を超えるということ。形を超えた光のひびきこそが、宇宙の真実の姿であり、人間の真実の世界だという深い理解に至ってきます。
 そして、ひびきというのは全ての生命体、万物万人とつながっているということで、自己の一挙手一投足が今の世界及び未来の世界を決定するということです。この点が明確になると、心の奥底から世界平和の祈りに対する姿勢、五井先生に対する姿勢が本格的になり、絶対信の心で歩むということになります。
 そうなってきますと、日常の中から「ひびき」を大事にすることが習慣づいてくるんですね。〝ありがたい、ありがとうございます〟というひびき。大自然、生命をたたえるひびき。明るくすべてを肯定していくひびきがいかに大事かが実感されます。
 例えば、いい音楽を聞いたり、素晴らしい絵や芸術作品に触れることも大事だと思います。但し、ほんとに良き作品を選ぶ必要があります。とにかく生命が躍動している姿などを、直接あるいは映像で見るのもいいですね。習慣というのは、ほんのちょっとしたところから始めると、だんだん身につきますからやって下さい。「日常生活即宗教」ということが大覚されてくるんですから、一日一日を楽しんで生活なさって下さい。
(風韻誌2020年9月号)