神のみ心の「ひびき」こそ全て  尾崎元海

 四月という季節は、木々が成長し花々が次々と咲いてくる頃で、一年の中でも心が大きく開いていく時期でもあります。自然界の生命のひびきを観じていますと、大生命の悠久なる光の流れが多様に現れて、人間に宇宙根源の大愛の氣を伝えてくれています。
 この「ひびき」というのは、辞書には耳に聞こえる言葉の音の感じ、音がひびくこと、振動とか余韻と書かれています。人間世界を見ると、様々な人々が発する感情想念がそうですね。人間が作った色々な物体から出る音もそうです。心地良いお寺の鐘のもあります。鳥や動物の鳴き声や、風や雨などの自然の音もありますね。各種の音楽もそうです。これらは人間が感覚的に感じられるもので、一般にはそう理解されていますよね。これらの中で、人間の心を安らがせ、高め上げられるものは実に結構なことだと思います。
 人間がよく生きる上で問題になるのは、人々が発している想念の波ですね。良きものは人間生活を高めますが、逆に人間の心を不安にさせ混乱させてしまう、神様の大調和の心には無いごう想念波動というものがあります。恐怖、うらみ、ねたみ、猜疑さいぎ、攻撃、差別などの想いですね。そういう波動に影響され、振り回される人もたくさんいるんですね。
 それらの波に把われない、超越してしまう方法が統一行という、本心の中・神のみ心に帰一きいつすることで、読者の方は理解されていると思います。世界平和の祈りの大光明に入っている時は、実はそうなっているんですね。祈り心の世界というのは、時間、空間を超えた無限の光明波動と一体となっているわけで、まずこの根本を信じきっていくことが、最も重要なところです。
 肉体生活をしていますと、形ある世界の様々な姿や動きが本物のように思えるんですね。ところがそれら一切は変化変滅していきます。変化するものは実在ではなく、過去世の因縁生の消えてゆく姿なんですね。これは考えるまでもありません。本物というのは変化することもめっすることもなく、不変なる絶対のひびきなんですね。人間の本質である生命・本心のひびきは、未来永劫えいごう続いていきます。人間が尊いという訳はここにあるんですね。肉体身というのも、その尊い神の分生命わけいのち・み仏のいのちが肉体界で働くための大事な器だからなんです。
 死んだ後の世界は行ったことがないから、死後の人生など信じられないという人がいますが、これほど誤った考えはありません。肉体を中心にして生きる唯物論ではそうなるのでしょう。しかし今日の世界は、人間が大きく意識を変えないと、地球の調和や人類の存続の危機を超えることができないことは明白です。人間の価値観を大転換する以外に方法がないことは、ほんの少し考えれば分かるはずですね。
 「統一」というのは、全ての想いの波を根源世界である大生命のみ心の中に返してしまうことです。字の通り、一なる絶対神の中に一切の感情想念を寄せる、まとめることですね。その中から改めて、神様の尊い無限力を頂き直すということになります。統一する即ち、世界平和の祈りの中に入れば形の世界を抜け、霊なる世界、いのちの世界、神様の世界に居るんですね。そこには肉体界のような形の世界はありません。形が無いというのはひびきだけなんです。そのひびきが、その人の世界を作るんですね。これは勿論、その人が持つ幽体の波動を含んでのことです。このひびきというのは、お互い同士、全人類、全ての生命体、大いなる神々様とも繋がっています。
 祈りの道を進んでいる人は、この世に居てもあの世にあっても、現れてくる自他の想念波動を消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に入りますね。これは凄い境地ですよ。どの場どの世界に居ても、神様の大光明を発するのみなんですから、素晴らしいというしかない最高の生き方になりますからね。メンバーの皆さんは現にその生き方をしていますからね。社会的に広く知られていなくても、あるいは病気や不幸の最中さなかにあったとしても、間違いなく光明世界の住人なんですね。
 先日の「みたままつり」で話したように、〝祈りのメンバーの人達は堂々と生きて下さい。ますます謙虚な心を養い、祈り心を更に深めて下さい〟ということです。この生き方こそ、全託・神さまにまかせきっていく最高の人生ということになります。花々や木々がそれぞれの個性、役割を存分に生ききっている姿ほど、まぶしく美しいものはありません。人間は本来、神の分霊なのですから、それ以上に生命を輝かすことができるはずなんですね。四月から新しい人生を歩みだす人が多くいます。その人達の初心で歩む心を我が心として、まっすぐに我が天命完うの道を進んでいきましょう。
 四月の陽気に感謝しつつ 仁川にて
(風韻誌2018年5月号)