「素朴で強靭(きょうじん)な人生を」  尾崎元海

 梅雨入り間近の六月の初めに、この原稿を書いています。あっという間に仲夏ちゅうかの季節となり、鉢植えの紫陽花が花を開こうとしていますが、咲き始める少し前というのは独特の風情があって、中々いいものですね。庭に数多く植わっているかえでの緑の葉っぱが、心身を癒やしてくれると同時に、人間に大切なことを伝えてくれています。
 楓という木は平和主義者なんですね。山などに行くと、杉やけやき等の大きな木の中で、枝を横に広げ木漏こもを吸収して成長してゆく姿を見ることが出来ます。決して他の木と争わないで存在し、人間の心をすがしくし、落葉らくようの頃となると深い情趣の世界へいざなってくれるんですね。初春の新芽から晩秋の紅葉まで、素朴で強靭な生命力を限りなく響かせてくれる、木の菩薩ぼさつ様だと私は思っています。生き方が実に上品だなと感じられる楓は、日本人にどう生きていくのが正しいのかを教えてくれているんですね。周囲と対立するのではなく、周囲を生かしながらも、自己の個性を最大限に生ききってゆくわけですから、本当に見事なものです。
 人間は誰でも、心の底では救いを求めているんですね。〝ほっとする、安らぐ〟というのは、全ての人達にとっての救いの原点です。この当然とも思えることを、自己の生きるポリシーにしていけば、未来永劫えいごうの幸せが我が物になるんですね。現今のような欲望を満足させ、金銭や武力を第一にして動いていくような生き方からは、決して真の安らぎや幸福に至ることは出来ません。何故なら、人間はその奥に完全円満なる光を有しているからです。光即ち生命ですね。この生命は、宇宙を運行する宇宙神(大生命)の至上命令を受けて動いています。
 ですから、それに反した動きを肉体人間が続けていけば、神のみ心の調和をはずれたぶんが消滅せざるをえない状況になってしまうのです。それは苦悩であり混乱した状況であって、ますます救われの世界から遠ざかってしまいます。これは古来からの聖者、賢者が言っておられることですが、今の東アジアや中東状勢、並びに世界各地での破滅的状況を見れば実に明らかなことですね。世界人類の心の中は、不安恐怖心が増大し、そこから脱しようとしてもがいているというのが実状だと思います。その中にあって、外界ではなく内界にこそ真実なるものがあると信じている人達が、少なからず存在していることは事実です。唯物主義で動いている多くの人達は、物の奴隷となっているのに気付いていないんですね。形の世界の結果ばかり追い求めていたのでは、永遠に心の安らぎを得ることは出来ないでしょう。大事なのは、今ある結果という世界ではなく、神のみ心にかなった世界を創造する正しい想念、意志の発動なんですね。
 祈りのメンバーの人は、「世界平和の祈り」によって根本的な大仕事は既に実行しています。神のみ心の完全円満なる大光明世界を地上界に映し出しているんですね。「映す」ということは、自己の本体の神の世界の無限力を目に見える形の世界に現すということです。「世界人類が平和でありますように」とは、「世界人類よ平和であれ」という神の絶対なるご意志から発せられる創造のことばということが真意なんですね。「私達の天命が完うされますように」、あるいは「我が天命が完うされますように」というのは、「私達の天命は必ず完うされる」であり、「我が天命は必ず完うされる」というのが真意ということになります。これは内なる神様の宣言ですから、百パーセント間違いなく肉体上に現れるということですね。神体の姿が肉体の姿となるとの大確信の光の働きということになります。
 〝天命が完うされる〟ということは、この世と霊なる世界も含めてのことですが、神様から与えられた無限力の顕現という尊い使命のことですよね。天命を完うさせるというのは、大生命の絶対なるご意志であって、やがて人類全てがその方向に導かれるようになっています。守護霊・守護神様が導いていくのですが、霊なる世界の響きと肉体と幽体の荒い波動には、大きなギャップがあるんです。それは自我欲望の想念波動なんですが、その肉体人間観という想いの波のままではどうにもなりませんから、守護霊さんが様々な形で消し去っていくんです。業生ごうしょうという神のみ心から外れた想念の集積を、病気や不幸等の姿として浄め、徐々に本体の生命の通りを良くしようと為さっているんですね。
 そのカルマの波を消すのに、人によっては何生なんしょう、何十生も掛かる場合があります。本当に守護の神霊の愛と忍耐力は凄いもので、肉体人間のせっかちな想いからみると、偉大な力としか言いようがありません。そういうことから考えますと、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を実践し、守護の神霊に対して日々感謝をされている祈りのメンバーは、どれだけ幸せなことかと思うばかりです。肉体・幽体の荒い波動のまま、超高速の光のエレベーターに乗っているうちに、守護の神霊・救世の神々様、五井先生が浄めて下さり、天命完うの道へと軌道きどう修正をして下さるんですね。
 世界平和の祈りの道へ入った人は、頭に浮かぶ悪想念や様々な不調和を恐れることはありません。一番いい形で、守護の神霊が過去世から今日までの業生を浄め、本体の神様を現そうとなさっているんですから、〝ますます私は光り輝いたんだ。神様の完全なる力が現れた〟と、内なる神性を肯定するだけということになります。内部神性のみが絶対であるとの、自己を真に愛するという人生に徹しきるということですね。この生き方こそ、楓のように、自己を最大限に生かすと共に、他を生かしきるという大調和の道ということになります。
 我が内奥ないおうにこそ真の平和世界があることを悟った人こそ、世の宝です。どれだけこの真実を深めていくかが、天命完うの道なんですね。これは魂(心の奥)にとって真の安らぎであり、自他がより調和し、真の平和なる光を世界に響き渡らせるということですね。内奥の無限の光・力こそ全ての全てであることを、徹底して、悔いなき人生を生きていきましょう。
 小鳥達のさえずりを聞きつつ 仁川にて
(風韻誌2017年7月号)