「気付いた時が出発点」  尾崎元海

 晩秋から初冬へと季節が変化し、今年もあと僅かとなってきました。年々思うことですが、時の経つのが早くなっているのでは、と感じている人は多いんじゃないでしょうか。我が家の紅葉もみじも散り始めてきましたが、早春の芽吹きから今の時期の落葉まで、様々な変化の美を楽しませてくれた葉っぱさんに御礼を申し上げるばかりです。人間に生きる喜びと感動を与えて下さる様々な樹木草花に包まれている日本人は、本当に幸せな民族ですよね。
 十一月頃、裏庭にあった二本の山茶花さざんかを表の駐車場の奥に植え替えたのですが、少しずつ可愛い花を咲かせ始めました。裏庭にある椿の花も、それに負けじと蕾が開き、白い花が顔を見せ始めています。そういう自然の美しさの妙を観察していますと、の光や大地の生命力、そして大気のエネルギーや水などの要素が結集して、一つの個性が成長していくんですね。それぞれの木や草花は同じ種類であっても、姿が違ってくるわけですが、これは当然とはいえ、良く考えると不思議としか言いようがありません。
 人間もそれと全く同じように、人それぞれの個性が全く違うんですね。人間は神様の分生命わけいのちですから、各人が独特なる役割を与えられて生きています。これを天命と言うのですが、内なる生命の本質を全人類が出しきっていれば、既にこの世界は地上天国なんですね。しかし現実世界となると、不調和な状態がたくさんありまして、各人が持つ過去世からのごう想念波動を消しつつ、一歩ずつ魂の進化の道を進んでいるわけです。これは霊魂にへばりついたカルマの波を脱皮しながら、本来の完全性へと向かっているということですね。
 魂が浄化されているこの状態というのは、新陳代謝の原理によって為されているんです。大生命から肉体身に生命エネルギー・光明波動が流れ入ってきますと、肉体に重なってある幽体波動の汚れが払い浄められるわけですね。世の中の大半の人は、困難な問題や嫌な感情想念が出てくると、自分や他の人を責めたり、それらを掴まえて払いのけようとするんです。せっかく魂がきれいになり、内なる生命の光が表面に出ようとしているんですから、わざわざ消え去ろうとする汚れやゴミを取り戻そうというのは、実にばかげたことですよね。人間はその奥に完全円満なる光の働きが為されているわけで、表面にくっついていた不調和な波が出るというのは、実は喜ばしいことなんです。病気や不調和な出来事はありがたくはありませんが、それを契機に運命が大きく良き方向に転換したわけで、こんなありがたいことはないということですね。
 五井先生の教えの根本に、「消えてゆく姿」という真理の話がありますが、このことを理解し体覚していくことは、ことほか重要なんです。〝現れてくることは皆、消えてゆく姿なんですよ〟と、五井先生は仰しゃっていましたよね。では、消えないものは何かということです。それは内なる生命体・生命の光ということになります。その生命の働きと一つになって生きることこそが、人間が為すべき最大のことであり、最高の目的なんです。
 言うまでもなく、表面に現れてくる様々な出来事や頭に去来する感情や想いや雑念などを相手取っていれば、内奥ないおうから湧き上がってくる創造的智恵能力を見失ってしまいますからね。例えば、真摯しんしな姿勢を持って生きる科学者や技術者や芸術家などは、ひたすら自己に与えられた役割に徹しきる生き方をしています。特殊な仕事ではない人達でも、そういう人生を歩む人はたくさんいると思います。現象に現れてくる事柄に把われないということは、奥なる無限能力を百パーセント、心に受け入れるということですから、これこそ最高の人生ということになりますよね。限られた肉体生命の時間を大事にすることは、最も正しい心のあり方であることは、良識のある人であれば納得されるはずです。
 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」の道を実行されている人は、今申し上げた世界を生きているのですから、これは素晴らしいとしか言いようがありませんよね。消えてゆく姿という言葉の意味は、過去世に積み重ねた想いや行為が、その役割を終えて様々な姿や想念波動となって、消え去ろうとしていることなんです。いわゆる、無にするために肉体上に現れたのですから、〝過去世さん、ありがとうございました。私は今、世界平和の祈りの中で神様と一つとなって生きています〟と、感謝の心で対応するだけなんですね。
 とにもかくにも、今この瞬間、生きていることが唯一絶対であって、その中にこそ神との一体感を深め、神の御心深く戻ってゆく大安心の世界への道があるということになります。この一瞬一瞬、大生命のいのちという無限大光明・大愛なる無限エネルギーが自己を動かしているわけです。陶芸家の河井寛次郎さんの、〝何という今だ〟という真理の言葉の通り、神の生命を今、生きているという確信というか、それを超えた大確信で生きていきたいものですね。
 今回の文章を読まれて、少しでも心に感じるものがある人は、〝気付いた時が出発点〟というフレーズを生きる根本にしていただきたいと思います。この言葉は、どういう立場や環境にあっても、ほんの少しの真理の言葉に心を動かされた人にとっては、大飛躍、大安心への道へといざなってゆく道先案内となるはずです。もう少しで新しい年を迎えますが、これまでの古いからをさらりと脱ぎ捨てて、明るさと活気に満ちた日々新生しんせいの人生を生きて参りましょう。世の中が不安定に感じる時代の中にあっては、大生命(神)との一体感で生きる大信念の生き方こそが、自己や周りの人や世界中の人々に最大の貢献ができるんです。一人でも多くの人が、躍動する人生を歩まれることを祈るばかりです。
 新しい年の平和を祈念しつつ 仁川にて
(風韻誌2017年1月号)