編集後記「カフェにて」 尾崎晃久

編集後記(風韻2020年9月号)  尾崎晃久

カフェにて
 三月に梅田の百貨店内のカフェに入ったことがありました。そこのオムライスが美味しくて好きだったので注文し、待っている間何もすることがないので、よくお祈りしておこうと思い、まず一生懸命働いている店員さんの天命完うを祈りました。店内にいる他のお客さんの天命完うも祈りました。
 オムライスのデミグラスソースの中には、牛肉が入っていました。食べながら、今私が頂いている牛のみたま様の天命が完うされますようにと祈りました。この瞬間、救世の大光明が流れて行って、その牛のみたまを浄め高め上げる働きをしているのだろうと思いました。牛だけでなく、オムライスに使われている卵を提供してくれた鶏さん有難うございます、と感謝しました。
 サラダを食べながら、野菜を育てて下さった生産者の方に感謝すると、祈りの光がその人達にも流れて行くのでしょう。
 テーブルの上に植物が置いていたので、私の心をしばしの間、和ませてくれていることに、感謝しました。植物の生命と私の生命が交流しているように感じられました。
 食後に紅茶を飲みました。茶葉を生産したのはインドの人達だろうか。そうすると祈りの光はインドの茶園で働いている人達にも流れて行くのだろう。そんなことを思っていますと数十分ほどの短い間ですが、世界平和の祈りを祈りながら食事をしている間は、実に様々な神事がなされている瞬間であると思われてまいりました。
 平和の祈りを根本に生活していると、私達が日々接する人や生物に光が伝わり、世界を光明化させる働きをしていることになります。祈り心を込めて行うと、日常のあらゆる事柄が光り輝いた神事になることに改めて気づいた一時でした。