全て良きように進む  木村純子

 九月十七日に行われた行事のご法話で、元海先生がこのようにお話し下さったことが、今の私の状況にぴったりの内容で大変心に残りました。
 「自分が何らかの病気だったり、治療中だったり、また身近な人が病気の状態で、付き添いやお見舞いに行く場合がありますね。そういう場合、たとえ自分の肉体にどのような症状が出ていたとしても、この肉体を通して、大生命から流れてくる生命エネルギーが躍動しているんですね。痛みを感じたり様々な症状が出てくることは、本来の完全性を現そう現そうとされている守護霊、守護神様の慈愛のお働きなんです。
 ですから、そういうように受け取って、これは必ず素晴らしいことになると思うんですね。自分の身内の場合も、どういう症状が出ていたとしてもそのことを確認していくんですよ。万が一その方がこの世を去ったとしても、こちらが、〝これでこの方の本体(本心)が現れるんだ、必ず素晴らしい方向に入っていかれるんだ〟と確信して、その方の最晩年に対応することができれば、そう思われた方は、大変な徳を得たことになるんですよ。この世だけでなく、あの世の地位までも決定してもらえたことになるんですからね。
 自分であろうと身内であろうと、どんな人であろうと、徹底して〝神様の為さることは大愛の現れである、全て良きように進んでいくんだ、神様ありがとうございます。どうぞ私の天命が完うされますように、あの人の天命が完うされますように、どうぞ一切合財お願いします〟とやって頂いたらいいですね」とお話し下さって、とても勇気づけられました。
 身内の場合、身近であるがゆえにどうしても現れる症状に気がいってしまい、先生が仰しゃる本来のことを確認することより、うっかりその症状ばかりを確認していることがあります。こちら側が何を摑んでいるかによって、その人のあの世の地位までも決定するということで、これは大変なことだと思いました。神様の大愛を摑むのか、現れてくる消えてゆく姿を摑むのか、そのちょっとしたことによって、天と地ほどの違いになるんですね。
 先生が、「あの世の地位までも決定する」と仰しゃったところですが、この世に生きていますと、どうしてもこの世の基準であの世を想像してしまいます。しかし、あの世の地位というのは、この世での地位とはかけ離れた差があることを、五井先生が、ご講話テープの中で話されていました。
 「神界と幽界の差というのは、はなはだしいんですよ。この世の中での貧富の差というのは、貧しくっても金持ちでも、大した差はありませんね。ちゃんと食べていけるし住んでいけるんだから、大した違いはないですよ。しかし、霊界、神界、幽界の差というのは大変なもんで、丸っきり違うんですよ。何千層倍も差があるんですよ。だから一日も早く悟ってね、神様に任せきるということが必要ですね」と仰しゃっておられて、五井先生のお話のひびきから、その差というものは、ただごとではないことが感じられました。
 それほどの一大事が、この世の自分の思い方ひとつで決定してしまうというのですから、大変なことです。それも、自分だけではなく相手の方の永遠の生命までも影響を与えるのですから、責任の大きさを感じました。世界平和の祈りに出合っていなかったら、全くそういうことを知らずに、いつまでも現れてくることを、〝嫌だな〟〝大変だな〟〝不幸だな〟というように摑んでいたと思います。しかし、五井先生のみ教えに出合って、一八〇度思い方を変える方法を教えて頂きました。その現れの奥に働いて下さっている、神さまの慈愛のお働きだけを確信していくんですね。
 また五井先生は、「病気やケガや不幸が有難いんじゃないんですよ。それを小さい形で現して下さっていることが有難いんです。神様は愛であって、子供である人間を救おうと一生懸命働いて下さっているんですよ。何事が出ても信仰している場合は、信仰していないよりずーっと軽く済んでることは間違いないんですよ」と、お話しされていました。守護霊、守護神様は、どういう時であっても、我が子を守りに守って下さっていて、内なる完全性を現そうとして下さっているんですね。
 「神様の為さることは大愛の現れであって、全て良きように進んでいる」――そのことだけを確信していくことは、私にとって何にも勝る大仕事なんだということを、今回の先生のお話から強く感じました。神々様への感謝とともに、益々深い確信を持って「世界平和の祈り」を祈って参りたいと思います。
(風韻誌2023年11月号)