(二〇二三年)七月十六日の法話会で、元海先生が五井先生のご著書『明るい心』の文章を紹介して下さいました。その中で、とても心に残ったところがありました。五井先生が、「今改めてよくなるのであるとすると、私のようなダメなものが、神の子のようないい者になれるわけがない、とこういうようにやってしまう。〝私のような〟というのがあるでしょう。その〝私のような〟というのは業のほうであって、あなた方自身ではないのですよ。それを間違えてはいけません」と、お書き下さっているところです。
五井先生が仰しゃるように、〝私のような〟という想いがクセのようになっていて、うかっとその想いについていっている時があるなと、大変ドキッとしました。
「人間は神の分霊であって業生ではない」という五井先生のみ教えを、何度も確認し頭では一応理解しているつもりでしたが、いざ自分にとって困難と思われる場面に直面すると、〝私のような〟という想いが、いろんな理由をつけて浮かんできます。「私には能力がないし」とか、「今までの経験がないから無理です」や「とても今の私にはできそうにもない」やら、いろんな理屈をつけて、〝私のような〟という想いを肯定していることが、日常の中で多々あるなと、冷や汗が出ました。
五井先生は、「〝私のような〟は業の方であって、あなた自身ではないのですよ」と、書いて下さっています。〝私のような〟という私は、幻の私であって、実在しないんですね。それをわざわざ摑みにいっていたんだなと思いました。
また五井先生は、ご自身の子供の頃について触れて下さっていて、病弱でいらっしゃった小学校一年の頃、私のような弱いものは、大人になったらどうしよう、どうして生きていったらよいだろうと、子供心に大人になることを心配されていたそうです。「それがどうしたもこうしたもありはしない。守護神の導きでこうなってしまったでしょう。そういうものなのです。いい見本です」と、書かれていて、五井先生も同じように、〝私のようなものが〟と思われた時があったんだと思うと、とても安心感が湧いてきて、五井先生に励まして頂いているようで勇気が出ました。
七月二十六日の奈良集会で、ここのところを取り上げて皆さんと確認しました。その時に紹介した五井先生のご著書『自由解脱への道』に、「自分はだめな人間だということは、人間は神の子じゃないということと同じなんです。〝自分はだめな人間だなァ、自分はだめなんだ〟と思う想いは、自分は神さまの子じゃないという想いと同じなんです。そうではなくて、自分は神さまの子なんだから、だめな想いというのは消えてゆく姿なんですね」と、書いて下さっていました。
自分はだめだなぁと思う想い、私のようなものがという想い、そういう想いはみんな自分じゃなくて、消えてゆく姿なんですね。
五井先生は、「自分の責任に思わなくていいんですよ、消えてゆく姿なんだから、天のほうへ放せばいいんですよ」と仰しゃって下さっています。そういう想いを感じた時、「消えてゆく姿なんだな、守護霊様、守護神様ありがとうございます。五井先生ありがとうございます」と、五井先生のエレベーターに乗りさえすれば、あとは、五井先生がスーッと神様の世界に持っていって下さるんですね。これほど楽で有難い道はないと、改めて感動し、益々消えてゆく姿の実践を深めていきたいと思いました。
その為にも、日常の中でいろんな工夫が必要だと思うんですね。この日の集会に参加されていた方も、皆それぞれに実践の工夫をされていました。
Yさんは、「五井先生の短歌を暗誦できるよう何回も声に出して読んでいます。そうすると、頭だけで理解しようとする癖から抜けていけるように感じています」と話されていました。
またFさんは、「五井先生の聖歌を声に出して歌っています。今は『平和讃』をよく歌うのですが、この歌は聖ヶ丘道場の素晴らしさが詠われていて、歌っていると、私も小さい聖ヶ丘道場なんだと思われてきまして、私を通して全世界に光が響きわたっているんだなと感じられてきて、知らないうちに、私のようなという想いから抜けているんですね」と話されていました。
またKさんは、「私は、世界平和の祈りに繋がる前は、私はダメだなぁとすぐ思う劣等感の塊のような人間だったんですね。それがこの道に繋がってからは、その想いから随分と解放されました。特に五井先生の統一のご説明を聞くのが好きで、〝全部こちらで無くしてさしあげますからね〟という五井先生のお声を聞くと、自分で何とかしようというのではないんだと、大船に乗ったような気持ちになり、ゆったりと消えてゆく姿の実践ができるように感じています」と話されていました。
私の場合は、〝自分にはちょっと無理かな〟と思われることに、積極的にチャレンジすることを、出来るだけ日常の中で心掛けています。結果はあまり気にしないで、「守護霊・守護神様ありがとうございます。五井先生どうかよろしくお願いします」とチャレンジしていると、いつの間にか無理かなと思っていたことを超えさせてもらっていることが多く、私の勝手な思い込みというか想いの癖が、自分の前進にストップをかけているんだなと、小さな体験から感じています。そして、五井先生が説かれている全ての想いを消えてゆく姿として、祈りの中に入れる実践の大事さを感じています。
「人間というものは初めから神さまの子で、はじめから汚れもなければ、病気も貧乏も悪いこともないものなのです」と、五井先生はお書き下さっています。そのことをひたすら信じて、現れてくることをどんどん消えてゆく姿として、祈りの中に入る実践を続けていく中で、〝私のような〟ではなく、五井先生が仰っしゃる本来の自分が発現されていくのだと思い、大いなる楽しみとして祈り続けて参りたいと思います。
参考文献
『明るい心』 五井昌久著 白光出版
『自由解脱への道』 五井昌久著 白光出版
(風韻誌2023年9月号)