一月の中旬、親戚の祝い事があり、久しぶりに京都に行きました。着いてすぐに両親のお墓参りをして、まだ時間があったので、近くにある臨済宗・東福寺を訪ねました。東福寺は紅葉の名所として有名ですが、今回は寺の心臓部にあたる建物、〝経蔵〟と〝禅堂〟が一般公開されていました。
一七九三年に再建された経蔵には、鎌倉時代中期に開山・聖一国師が宋から持ち帰ったという、千点余りの経典が収められていました。多くの太い巻物や、重そうな版木を見上げながら、これらに目を通すことを考えただけでも、気が遠くなりそうで、本心開発を志してこれらの経典に真摯に向き合われた方達の情熱に、頭の下がる想いでした。
また一三四七年に建てられた禅堂は、参禅の場としては、現存する最古最大の建物とのことで、一度に四百人以上の僧が修行をしていたとの説明がありました。この日の朝の京都の気温はマイナス四度。天井が高く、がらーんと広い木造のお堂はしんしんと冷たく、ここで座禅を組んでおられた、たくさんの僧侶の姿が目に浮かんできました。
これまでの歴史を振り返り、世界中でどれだけ多くの人々が、〝自己とは何か?〟、〝この自己はどこから来て、どこへ向かう者なのか?〟、〝自己と宇宙との関係、或いは、自己と神様との関係は?〟という、人間にとっての根本の命題を見詰め、精進し、或いは修行を積み重ねてこられたことだろう。そしてその答えを明らかに見出し、体感し、歓喜された方々が、果たしてどの位いらしたのだろうと、膨大な数の経典と寒々とした禅堂を見学しながら、思わずにはいられませんでした。
同時に五井先生が、「皆さん方も過去世において、色々な宗教を経験したり、様々な修行をしたり、時には大義のために命を投げ出し、真剣な積み重ねをしてきた結果、今生では最終ゴールとして、最も易しい他力易行道である『世界平和の祈り』に繋がったのですよ」と、ご講話されていたことを思い出し、そうした過去世の自分が大変愛おしく、誇りであり、心からの感謝が湧いてきました。
そして改めて、「人間と真実の生き方」という、たった一枚の五井先生の教義が、いわゆる宗教とか宗派というものの枠を超えた、人間全てにとっての究極の答えであり、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」は、普通に日常生活を送りながら、小さい子供にさえ行える、現代の生活に最高にマッチした、画期的な行法であることが実感され、こんなに簡単な本心開発の方法を、もっともっと多くの人達に知って頂かなくては、本当に勿体ないと思いました。
折しも今年は、明治維新から一五〇年ということで、NHKの大河ドラマでは、西郷隆盛を主人公とした『西郷どん』が放映されています。ここ東福寺も島津家に縁が深く、境内の奥にある即宗院で、西郷隆盛や月照和尚が討幕の計画を練ったと伝えられ、また一八六八年の鳥羽伏見の戦いでは、ここに薩摩軍が陣を構えたのだそうです。また討幕後は、明治維新で戦死した五二四名の薩摩藩士の霊を供養するために、西郷さん自身が身を清め揮毫したとされる、「東征戦亡之碑」が建っていました。
五井先生はご著書の中で、「西郷隆盛という名をきくと、いつでも私の胸がじいんと熱くなってくるのですが、これはキリストや仏陀を思う時と等しいほどの畏敬の念からくるのです。(中略)西郷さんのどこにそんなに魅力があるのかといいますと、一口にいうと常に天の心と一つになっていた私心の無い大らかさ、その正しさ、それに、たぐい稀なる胆力とにあると思います。
法然にしても親鸞にしても道元、空海、白隠、良寛等々、宗教者のなかには尊敬すべき人がたくさんおりますが、武人のなかで私の最も尊敬しているのが西郷南洲なのです。(中略)今日の政治家のなかに一人でもよいから、西郷さんの精神をそのまま行動に現わしてくれるような人物が存在したら、日本の状態は、もっと明るく確かなものになっているであろう」と、絶賛しておられます。
また勝海舟の『氷川清話』も引用して下さっていて、江戸城無血開城に関わる、この二大人物のやり取りなど、心が震えるほどに素晴らしく、改めて深く感動します。
西郷さんに関しては、紙面の都合上、まだまだご紹介出来ずにいますが、こうした本心の開発された、素晴らしい偉人の方々の生き方に想いを向け、明治維新の時代よりも遥かに困難と言われるこの時代を、「世界平和の祈り」という、凡人の誰もが大義のために生きられる生き方を、喜びを持って生きていきたいと思います。そしてこの生き方をバトンタッチして下さった過去世の方々に、改めて感謝を捧げるものです。
(風韻誌2018年3月号)
参考文献 『日本の心』五井昌久著 白光出版