日々の祈りから

日々の祈りから  竹内麻由美

 菜の花
 早春、この季節になると、お店には、菜の花が並び始めます。おひたしにしても炒めても、美味しい春の味。
 やっと咲いた、一つ二つのお花。これから生命いっぱい光り輝こうと、その小さい蕾の中には、黄色いお花が光っています。そんな時にポキン、ポキンと折られてしまう。「菜の花さん、ごめんなさいね。あなたの生命を頂きます」。そう言ってお料理すると、自然に感謝の心が湧いてきます。
 「ごらんなされ、この菜の花を……親神さまは、このような美しい花になって、人間の眼をたのしませてくださるのじゃ。その上おまえ、実になれば実になって、今度はしめ木にかかって種油になり、燈火あかりしろになって下さるのじゃ。かえすがえすもご苦労である。」
 眼に涙さえ浮かべて、菜の花を拝んでいらっしゃった黒住宗忠くろずみむねただ神人。
 沢山の生命が私となって生きて下さっています。その一つ一つの生命に、私に代わって、「世界平和の祈り」が、「五井先生」の称名が深い深い感謝を捧げて下さいます。五井先生ありがとうございます。
 今日も明日も明後日も、この先ずっと、ありがたいなぁと思えることを一つ一つ見つけていこう。そして、「世界平和の祈り」と全く一つになって、あらゆる世界に感謝の心を響き渡らせていくことが、唯一私に出来ること。

 二月二十三日 晃久さんのお話
 〝忙しいという想いの波に振り回されない〟のお話は、私の普段の生活にピッタリでした。
一日の始まりの朝は、まだお祈りの響きに乗って動けるのですが、子供達が帰ってくる夕方近くになると、色々な用事が重なって気持ちが焦り始め、イライラしたり、怒ってしまったり、五井先生の言われる「薄っぺらな感情」で動いてしまい、全然、神様のみ心を現せていない自分が出てきます。
忙しい忙しいという想いの波に乗ってやるのではなく、世界平和の祈りの響きに乗ってする。焦る想いは消えてゆく姿、守護霊様、守護神様、本心様は、ゆったりした大らかな響き。
このことは、私の毎日の課題だなぁと、焦る想いが出てくるたびに思い出して実践していこうと思いました。
 また普段、座ってお祈りする時間がないなぁ、と思ってしまいますが、そうではないんですね。家族の為に家事をするのも、自分の生命を他の人の為に生かすための行いであって、祈り心で一つ一つの用事をしていけば、〝あらゆる用事が神様のみ心と一つになって行う神事になってくる〟というお言葉がとても心に残りました。
 毎日の生活の中で、一番身近な家族に対して、なぜ愛の心がなかなか現せないのかなぁ、と思っている時に開いた、『如是我聞』278のお言葉。
 「水をあびたり、山にこもったりして修業をしなくとも、もっと近くに最もきびしい修業場がある。それは家庭生活という修業場である。人間は自分に近く親しいものに、ごうをぶつけるもの。業をぶつけても、ぶつけられても、自分も人も痛めることなく、業を消せ、家庭内が調和していけるようになれば、どこに出たって立派なものだ。」
 そうか、私は、私の魂の進化の為に最も厳しい修業場に置かれているんだな。だから毎日毎日、反省して、神様のみ心が一日も早く現れて下さるように、たゆみなく消えてゆく姿で世界平和の祈りを実践していくしかないんだ、と思えた五井先生のお言葉でした。
 どんな時もゆったりした心で祈り心を深めていけますように。そして、高知のSさん(会のメンバー)のお父様のような、さりげない優しさで家族や周りの人の心を喜ばせ、温められるような私になれますように。守護霊様、守護神様、五井先生にお願いしながら気を長くして、一歩一歩前へ進んで行きたいと思います。
(風韻誌2022年5月号)