数珠 山田理英

数珠(じゅず)  山田理英

 仏壇の引き出しから、数珠が二つ出てきました。おそらく、他界した義父と義母のもので、一つは水晶、一つは赤い瑪瑙めのうではないかと思われました。しかし、透明のはずの水晶は黄色く濁っていて、私の水晶の数珠と並べてみると輝きが全くなく、同じ石とは思えない状態でした。赤い瑪瑙の方も同様に、くすんで重たく感じられました。
 私はその二つの数珠を法話会に持っていきました。すると本当に驚いたことに、二つの数珠は別物のように濁りが取れ、輝きが出たのです。その後しばらく、自宅でも霊光写真の上に数珠を置き、お祈りをする時に自分の前に置いていますが、二つの数珠はきらきらと輝きが増して、とても驚いています。
 風韻86号の「生命の音霊」の鉱物霊の中で、「この鉱物は、山霊の内にある特殊な役割を果たす自然界の各種の氣の働きが結集したるものである。これは人間が宝石と呼ぶもので、それぞれが或る霊的エネルギーを放っている。しかしその物に執着の想いが入ってしまうと、本来の働きを弱めねじ曲げてしまうことを多くの人は知らない」と元海先生がお書き下さっています。
 数珠は、葬式や法事といった、人の死に関わる悲しみの場面で使われます。「人間は永遠に生き通す生命であり、神様の生命を生きている」という真理を知り、理解できなければ、そうした悲しみの感情想念、他界した人への執着の想いが数珠の石に入り込んでしまうのだ、ということが感じられました。そして、この執着の想いが世界平和の祈りにより浄め去られる、ということが実感されました。
 世の中のほとんどの人は真理を知らずに、感情想念に振り回されて右往左往し、本来神様から与えられている、大事なものを見失っています。世界平和の祈りを祈る私達の日々の実践を通して、そうした迷える世の人へ救世の大光明が響き渡るわけで、私達の祈りは世界の平和と直結しています。
 そうした自分の天命をしっかりと認識し、周囲からの感情想念に影響を受けないように、消えてゆく姿を徹底していこう、「善悪すべての想念波動を世界平和の祈りに入れて、祈りの絶対性を確信すること」と仰しゃった先生のお言葉を実践していこうと、今、決意しています。
(風韻誌2018年3月号)