匂草(においぐさ)法話  尾崎元海

 184 この世をよく生きるには、各人が元々備えている特性(天分)をいかに素直に表現するかにあるんですね。このことは時々話しているんですが、中々話す真意を受け留めてもらえない方もいるようです。そうした人の心の中をみると、自分の思う通りにしないと気がすまないという強い想いが潜んでいて、本人が多少そのことに気づいていても、どうにも、それらの感情想念を超えられないんですね。
 そういう人に対して、その混乱した状態を抜け出るヒントを話すことにしましょう。その方法というのは簡単なことです。まず一日に百回、声に出しても良いし、心の中ででもいいですから、きっちりと世界平和の祈りを祈ることですね。このことを心を込めて実行するんです。この実践を一ヶ月間続けることですね。一ヶ月続ければ、その後は三ヶ月続けて下さい。これを実行すれば、祈り心は強くなり、心の中のモヤモヤした想いは吹っとんでいくでしょう。そうしている内に、良き智恵が流れてくる人もあるでしょうし、腹がすわってきて、今の置かれた場で全力を尽くしていくことが出来るようになるはずです。
 とにかく、祈り、祈り、祈り。もうこれしかありません。コスモス会の活動は、甘えるという業波動を超えて、魂をうんと強くしていく所ですから、そのことをきもに銘じていただきたいと思います。

 185 「奇跡」という言葉があります。宗教をやる人の中には、この言葉の持つ本来の意味を曲解して、自分に都合のよいことが現れるのを待っているという人がいるんですね。いわゆる〝棚からボタ餅〟が落ちてくるのを、口を開けて待っているという、普通人より低いレベルの人間に自分を落としているという生き方ですね。奇跡というのは、無事に一日を過ごせている不思議さ、神秘さを心身で体覚することなんです。
 そういう根本のことを考えていくと、〝私は神様のいのちを生きている。神様が私となって生きているんだ〟という深い確信に至ってくるんですね。そういう姿勢で生きていくと、必要な時に必要なものが与えられるという、ありがたい生き方が展開してくるんです。
 そういうように、宗教の目的は、人間の根本を知らせ、真の大安心の境地を体覚させる道なんですね。この姿勢で生きていけば、この世で必要な物事が調ととのってくるわけで、人格がどこまでも大きくなると同時に、物心両面において調和した生活が為されるということになります。

 186 全ての人間の心の中にある最大の想いは、〝安心したい〟という心なんですね。そこで大半の人は、肉体生活を安定させるため、全力を尽くして金銭や物質に重点を置いた生活をしていきますよね。これが悪いというのではなく、自己が肉体人間だと思い込んでいる人達にとっては、無理からぬことだと思います。
 しかし、人間は神様の子であって、本体は神様そのものでもあるんですね。世界人類の真の平和、そして万物の生命体を最大限に生かしきるということにあります。そういう人間の根本に立つと、神の子であるという人間が、自己の肉体生活だけに重点を置いて生きるのは、宇宙法則である大調和のみ心に反するわけです。
 私達のように、世界平和の祈り一念で生きる者は、最初の段階から魂の救いが為されているんですね。そういう真の大安心の道を歩むことによって、神我一体の道を力強く進んでいきますから、この世のどの立場にいても、自己の可能性を確信して生きることができるんですね。
 一般の人の生き方は、因縁性の損得の渦の中で生きていきますが、祈りの世界で進む人は、只々、自己の天命を完うせんとして生きていきます。そのように、〝天命完うに必要な物は必ず与えられる〟という大信念を持って歩むということは、実に素晴らしいということになりますね。安心の人生といっても、その人の生きる価値観によって、大きな違いがあることの認識を深めていくことが大事ですね。

 187 五井先生の教えの根本の一つに、〝消えてゆく姿〟があります。都合の悪い状況が目の前に出てきても、〝ああ、これは消えてゆく姿だ。過去世の業因縁が小さい形で消え去って、内なる神様が大きく表面に現れて下さったんだ。光り輝いた私は、神様の強靭なパワーと共に力強く生きていくぞ〟というように、断固強く信念することですね。これは「新生」ということで、新しい自己に生まれ変わった瞬間ということになります。
 人間は誰もが神様から来た存在です。この否定しがたい大いなる真実を認めきっていくことが、人間本来の救いということですね。この絶対なる真理を受け入れることは、真の幸せを自己のものとすることなんです。どんなことがあっても、真理から離れるわけにはいきません。人間は神の分生命ですから、不調和なるものは本当はないのです。そういう不調和は、過去世の誤った想念を守護の神霊が光を流し入れ、消して下さったものなんですね。
 今この瞬間生きているのは、完全無欠なる神の生命です。その完全なるいのちこそ真の自分なんです。それ故、一切の不調和なるものは、過去世の間違った思い込みから生まれたものですから、表面に現れ出たということは、過去世の業生の想いのカスが無くなったということですね。
 ですから、これから益々、神様の圧倒する力が私となって現れるという大確信の心で生きていくわけですね。とにもかくにも、一切の不調和な想いや出来事は、明確に否定しきってしまうことですね。認めるのは、完全無欠なる神様だけなんです。このことを真に体覚していくのが、消えてゆく姿の教えなんですね。
(風韻誌2024年3月号)